2025-08-29 Fri : メディアの慣習を順守
生活
日記にも何度か書いたことがありそうな話で「スマートフォン時代に、偶然は減っているのか?」ってのがある。ぼくは 2006 年くらいからずっと日常的にウェブに触れるようになっていて、そのままスマートフォン時代にも突入して今日までを過ごしているが、偶然の出会いは増えている感覚なんだよな〜。「増えている」と感じている派と「減っている」と感じている派で、どのような認知の差があるのだろうか。とても興味があるテーマ。 ”偶然”を無くしていくことが、中長期的には人類の生活を焼け野原にするのは明らかだろう。多くの人が自分が生きている間さえ生き延びられれば良いのでまだのほほんとしているが、スマホとAIなどの影響もあり想定よりだいぶ早く焼け野原がやってきそうである。WBCのNetflix独占放送のニュースはその象徴の1ページとして私の中に刻まれた。
ニュースサイトを見ていたら「順守」という文字列を見かけて、これは「遵守」とは別なのか?と気になったので調べてみた。だいたい同じ意味っぽい。ほんで、新聞では「順守」の表記を採用しているとのこと。なるほどね〜〜。
新聞では、順守を使います。順守が生まれたきっかけにもあったように、業界内で順守の表記は統一された慣習です。もし、メディア関係の仕事をしている方の場合は、順守を使うことになるでしょう。しかし自作のブログや発行物などのメディアで遵守を使ったとしても間違いではありません。メディアの慣習に従いたいと場合には順守を使うと理解してください。
昼間にはなにをしていたんだっけ…と記憶が消し飛んでいるような感覚だ。夜ごはんには蒸し野菜とサラダチキンを食べた。白菜とえのきをバーンと蒸して、食べきれなかった分は明日にまわす。 https://gyazo.com/fd6c153cdce410a37df5c5bf5e21e3d4
あちこちのプロジェクトの進捗を出したいと思って Claude Code を走らせる。ダッシュ!四駆郎や爆走兄弟レッツ&ゴー!!のように、自機を繰り出して「いっけ〜〜〜〜〜〜〜!」と作業させているような気分。今でも「次は◯◯をお願いします」「では 2 の方式で進めてください」と丁寧語で接するのは変わらないけれど、さすがに数ヶ月に渡ってやりとりしているとちょっとフランクになってきたところもある。 気付いたら日付が変わっていて、ちょっと頭痛が生じてきそうな気配を感じたので寝室に移動して、漫画『アオアシ』の最終 40 巻を読んでから眠りについた。いい作品だったなあ。大満足。おやすみなさい。 https://www.youtube.com/watch?v=bueNT_mjTP8
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